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ヘルパーに毒まんじゅうを食わされないように〜価値の称揚はむしろ自らの価値を貶める〜 (2004/05/18)
福祉の業界にいると、「変だな?」と思いつつ、それを指摘・批判することができない風潮がよくある。

「おまんじゅうヘルパー」と呼んでいる団体があるらしい。実は、ヘルパーの規定の中には、利用者とヘルパーが親しくなってはいけないというものがあるらしい。これはこれで変なのだ。それはわかっている。しかし、だからといって、「利用者とヘルパーが仕事の後にまんじゅうを食える関係がよい」というのも、変なのである。

例えば、僕がヘルパーを雇うなら、言ったことだけをやってほしいと思う。100%の支援がよいと思う人である。ましてや、その後にまんじゅうなんか食いたくないし、そもそも食ってる時間など僕にはないと思う。

ヘルパーという仕事に対人関係を入れるべきかどうかという問いそれ自体が間違っているのである。単に好きな人とはつきあい、嫌いな人とはつきあわない。「つきあうことやつきあわないことを前提に考える」から変なのである。

その上で、ヘルパーの規則を批判すればよい。「規則などそもそもいらない」と、批判すればよいのである。

規則がいらないということは、ざっくばらんなつきあいを前提にすることを意味しない。「仕事だから人間関係ではない」という前提(規則)を批判するのに、ざっくばらんなつきあいを前提にし、その土俵の上で語るから間違ってしまうのである。普通に考えれば、そうした規則の批判は、「仕事でもざっくばらんでもどちらでもよい、それは利用者の意向を尊重できるよう、前もって決めるべきではない」となるだろう。まんじゅうを食える関係が「いい」か「悪い」かは、利用者の判断や性格によって異なる。「まんじゅうが食える関係がよい」としてしまうのも、「多様性の尊重」を裏切ることになるのである。

その上で、「まずは」、与えられた仕事を仕事としてきっちりこなすこと。当たり前だが、基本的にそれでよいはずだ。

過剰に語ることは、足りないことと等しい。なぜ必要十分を言わないのか。

誤解されがちなので、再三言っておこう。僕は、「まんじゅうが食える関係」を批判しているのではないのである。「まんじゅうが食える関係を前提に考える語り方」を批判しているのだ。そして、そうした批判こそが、「まんじゅうを食ってはいけない関係」に利用者とヘルパーを縛る規則をも正しく批判できるのである。「まんじゅうを食う関係」を称揚するということは、「食うべき/食わないべき」という議論の二分法に乗ってしまうことなのである。

ヘルパーに毒まんじゅうを食わされないように、注意、注意!





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